月曜日, 10月 24, 2016

ライセンスビジネスの終焉

OSやアプリケーションのライセンスフィーがビジネスの根幹であったMicrosoftの稼ぎ頭はクラウドサービスに変わった。未だに圧倒的なシェアを持っているが既にスマートメディアにその位置を明け渡してしまったPCを相手のビジネスではシュリンクしていくのは明らかなので主軸をずらしたのは当然だろう。その上でAppleと同じようにハードウェアをビジネスの軸に据えようとしている。PCを作っていたメーカーはハードで利益など出せない状況になり総崩れとなった今、なぜハードウェアなのかとの疑問もあるだろうが互換性を完全に担保しようと考えたら全てを自分たちのコントロール下に置くのが最善であることにようやく気付いたのだろう。これは、Microsoftに限ったことではない。Appleに対抗するにはライセンスフィーなしで広めるのが一番とオープン路線を喧伝してきたGoogleも遂に自らが設計したPixelを出してきた。

Googleは以前からNexusと言う中途半端な製品(設計は製造メーカーに任せていたのでは?)を出してはいたがNexusを基準にしてハードを出して貰おうとの目論見は上手くいかなかったので完全に方向転換したと考えるべきだろう。スマートフォン市場も既にPCのように成長産業ではなくなったことは製造メーカーの衰退を見れば明らか。挙げ句の果てに自分たちの蒔いた自由とオープンという悪しき種のせいでコントロール不能の分断化を招いたのだからお笑い種。そして広告収入が収入源のGoogleにとってブラウザー検索を必要としないデバイスの蔓延は自らの首を絞めることになるがそれを阻止するにはGoogleのサービスとひも付きになったハードウェアを用意するしか方法がなかった。

在庫リスクのないソフトウェア(パッケージ販売だけなら在庫リスクある)は数が出れば出るほど利益になるという20世紀ビジネスの優等生だったがAppleのように無料で確実なサポートをするところが出てくるとユーザーはソフトウェアに出費することに疑問を持ち始める。Windowsはバージョンアップするたびにボリュームが大きくなり重くなるためハードウェアを買い換えさせるスタイルだったがライフサイクルを短くすればするほど廉価モデルしか売れなくなるのでメーカーはやっていけない。その結果日本のように主要メーカーは事業撤退となってしまった。MicrosoftもGoogleも正式に表明をしたわけではないが、散々バカにしていたAppleのハードウェア中心のビジネスモデルが正しかったことを証明してくれたのである。

結論:20世紀はOSやアプリケーションで利益を得るビジネスモデルは優等生だったが、21世紀になってAppleによってガタガタにされてしまった。MicrosoftもGoogleもハードウェアの売り上げで支えられるとは考えているわけではないだろうが完全に自社のコントロール下にあるデバイスがないと自社のサービスを強制的に利用させることは不可能と考えているのは間違いないだろう。

火曜日, 10月 11, 2016

Samsungの焦り

発売歌詞まで悲観的な見方の方が多かったiPhone 7は順当に売れている。それどころか今回は単価の高いPlusが大きく売り上げを伸ばしている。そんな中のGalaxy Note7の発火騒ぎ。当初の発火がSamsung製のバッテリーユニットを使ったものだったため
中国製のユニットを使ったものに無償交換となったたが結果的に安全とされたものまで発火や異常発熱の問題が起こりついに販売どころか交換まで中止の事態となってしまった。

どのユニットを使っていても同じ症状が出てくるとすればこれは根本的に設計に問題があると考えるのが当然だが、未だ本当の原因を突き止められていないため使用中止をSamsung自らが出さざるを得なくなってしまった。10月に発売開始が予想されていたiPhone 7/7 Plusに先んじる実用があったのだろうが結果的に自らの首を絞める結果になってしまったのである。

その上、時期は未定だがGoogleはNexusに変わるハイエンド端末としてPixelを発売開始すると発表。廉価モデルとハイエンドで苦戦が言われているSamsungにとっては二重三重の逆風となるのは明らか。発火などさせている状況では何のに。

結論:日本では存在しないSamsung神話(使ったこともないのにSamsungを評価する人はいたが)。Googleとタッグを組んで他社に先んじて製品を出していたのは今は昔。Apple以上に落ち込む(Appleは未だにドル箱)携帯事業に焦りがあったのは間違い無いだろう。

金曜日, 10月 07, 2016

パーソナル・アシスタント

Appleの「Siri」、Microsoftの「Cortana」、Googleの「Google assistant」、Amazonの「Alexa」と世はパーソナル・アシスタントにあらずんばAIにあらずの空気。Androidスマホの優であるSamsungも「Google assistant」を使わせてもらうだけではまずいと考えたかのAppleを去ったSiri要開発メンバーが起業した「Viv」の開発元を買収すると発表した。

国内に目を向ければドコモの「しゃべってコンシェル」などが昔からあったがSiriのように雑談を楽しめるようなものではなかったのも事実。どんなに贔屓目に見てもエキスパートシステムの範囲を超えないものだった。そんな国内のパーソナル・アシステントに再び光が当たったのにはPepperの功績は大きいだろう。現状はまだシナリオベースの会話が主体なので大した会話が成り立つわけではないがRoBoHonのように音声認識の部分をローカルは「AmiVoice」サーバー上ではNuanceと使い分けバックエンドのAIに関してはIBMのWatsonに任せるなどと言うものも出てきた。

日本の場合はサイズは別にして人型ロボットの頭脳が主たる役目となりハードウェアと一体のスタイルだが、Siriなどのアメリカ勢はハードではなく個人のアカウントに結びついたネット上のアシスタントと色分けされるだろう。その中でも一番その色合いが強いのは多くのハードウェアを持っているAppleだ。今月中に発売開始される煩わしいペアリングを必要としないAirPodsと組み合わせることでどこにでも現れる妖精のようなアシスタントとなるだろう。

結論:どんなに処理能力と分析能力が高くてもビッグデータを解析するだけのAIは大昔からあるAIの延長に過ぎない。ユーザーのパーソナルスペースを奪ったもの奪ったものがこれからのAIの覇者になるのである。

木曜日, 10月 06, 2016

steveの死から5年

現地時間10月5日のため日本人である私たちにとってはsteveの死を知ったのは10月6日。通勤途中の電車の中で流れてきたTwitterが最初の情報だった。正式にニュースサイトに取り上げたのは日経だったがこの情報だけは疑うことなく受け入れた。哀悼のコメントが数多く上がるのと同時にsteveがいなくなったAppleはもう未来がないという悲観記事も多く書かれたがTImの舵取りの元Appleはそれ以降も成長を続けている。

Appleウォッチャーではない人からすればsteveがいなくなってAppleからイノベーションがなくなったと言う論調は響きやすかったのだろうが、steveが元気な頃から妄想の世界としか思えないような新製品を勝手に予想していただけなのに実際の製品発表を受けてAppleのイノベーションはもう終わったと書いていたことは大昔からのAppleウォッチャーであるマカーにとっては当たり前の光景。steveのビジョンを受け継いだ経営陣がいる限りは心配はないのである。

細部にまでsteveの目が通っていた最後の製品であるiPhone 4Sで初めて登場したSiriは遂にMacにも搭載され5年前にその第一歩を踏み出した音声認識型のエージェントはようやくユーザーインターフェイスの本命になろうとしている。Googleなどがビッグデータの世界にどっぷりと浸かる中、微妙に距離を置くAppleの姿勢をAIの負け組のように捉えている人も多いようだがそれは世の中の常識に毒されて本質を見誤っているのではないかと。

Appleはオープン戦略をとっていないのでいずれ負けると言うのも未だに言われているがそれはハードウェアとOSに関してであってそれ以外に関しては決してそんなことはに。その証拠にHealthKitやCarKit、ResearchKitなど業界横断的なプラットフォームになる取り組みとなっているし、Appleが排他的でないからこそIBMを始めとする多くのビッグネームがAppleと提携を結んでいるのである。実際にその辺りを見ていれば現状ではそう言った提携話の出てこないGoogleの方が閉じた世界に生きているのではないだろうか。

結論:Appleは右肩上がりの成長が当たり前でなくなった時代に巧みに舵取りを続けている。steveのビジョンが今も生き続けている証拠なのである。