月曜日, 4月 30, 2012

日本でAndroidケータイが売れている理由

日本でもAndroidの方がiPhoneよりも売れているとマスコミは騒ぐが、アメリカでAndroidが売れているのとは違う事情があることには一切触れようとしない。大した機能のないアメリカのヒューチャーフォンからスマホに乗り換えるのは当然の話だったかもしれないが、曲がりなりにも今のスマホで出来ることの多くが実現されていたガラケー(私には日本のAndroidケータイはガラケーのサービスを取り込もうとしているだけに見える)がAndroidに置き換えられなければいけなかった理由はAppleと同じ土俵に上がらなければバカにされると被害妄想に襲われたからに過ぎない。Androidを出していながら、やっているサービスの多くはガラケー用に用意されていたキャリア独自のものを取り込む作業なのだから、iPhone以外の多くのユーザーはAndroidを求めて機種変を行っているわけではない。 結論:日本でAndroidケータイが売れているのは、国内メーカーが代わりになるガラケーを作らなくなったからである。

Googleの考えていた電話

Oracleとの特許訴訟で2006年にGoogleが考えていたGoogleフォンの姿が明らかになった。AppleがiPhoneを出す前にAndroidは携帯電話の開発をしていた、iPhoneをパクった訳ではないと言うのがこれまでのGoogle主張だったが、その姿はどんなに贔屓目に見てもBlackBerry。マルチタッチを前提に開発されていたフルスクリーン、キーボードレスのiPhoneとは全くの別物なのは誰の目にも明らかだ。

キャリアに販売を持ちかけた時のコンセプトもAppleの考える様なモバイルPCではなくGoogle検索ができる携帯電話に過ぎず、どう贔屓目に見てもスマホとは似ても似つかない代物だった。そして、案の定Googleのケータイに乗ってくるキャリアは一切なく本来ならば立ち消えになっていた事だろう。そこに登場したのがAppleのiPhone。2009年に登場したAndroid(初めて非公開版)は当初Googleが考えてたものとは大幅に変更されていたのは誰の目にも明らかだったが、未だワードウェアキーボードによる入力が前提で、既に発売されてiPhoneのようなタッチパネルに切り替わったのは2.0からだったのだからSteveが激怒したのは当然の結果だったのだ。

結論:2006年にGoogleが考えていたケータイは今のAndroidとは似ても似つかない代物だった。Appleよりも先にスタートしていたと言い張るが2007年に登場したiPhoneが半年やそこいらで作れるような代物ではなかった事は2.3が出るまでAndroidがiPhoneのライバルでは無かった事で証明されているのだ。

パソコンがIT産業の脇役になる日

東芝はPCをテレビ部門に組み込み、富士通は携帯部門に、HPはプリンタとPCを統合と、どこもかしこもお荷物になってしまったPCの扱いに困っているようだ。吸収した部門が左団扇ならそれでも良いかも知れないが、液晶テレビだって地デジ特需が終わってしまい、携帯だってAndroidバブルが終りこれからはいつ撤退するかなのではないだろうか。Windowsで大して儲からない事が解っていた筈なのにAndroidで同じ事を繰り返す。折角、グローバルなOSなのにガラパゴス化を仕掛け二度目には買って貰えないようなスマホを量産…

100年先とは言わないが10年先の見通しもないままに目先の機能追加ばかりに目が行っていた日本のPCメーカーは、デジタル時代を全く理解していなかったのだから、衰退産業になってしまったのは身から出たサビ。日本のPCメーカーが偉そうに振る舞う事が出来ていたのは、漢字ROMが入っていなければ日本語が表示出来なかったWindows以前のお話。それを手を変え品を変えながら、ここまで引っ張ってこられた幸運に感謝すべきだろう。

結論:iPadが登場した時にパソコンは脇役になったが、日本のPCはWindows登場で既に終わっていたのだ。

ハードを売って儲かるならそんな楽なことはない

SONY、SHARP、Panasonic合わせてAppleの営業利益に近い赤字を計上したが、東芝も含めて稼ぎ頭だと思って一時は肩で風を切っていたPCがお荷物に成り下がり、別な事業部に吸収されるのがトレンドになった。かつてはPCと言えば98だったNECはWindowsの台頭で影が薄くなってしまっていたが、その他のメーカーも大した代わり映えのしない機能搭載(要は余計なハードが付いてるに過ぎない)の競争に明け暮れ、気がつけば元気が良いのはポストPCを作り出したAppleのMacだけと言う有り様。共通のOSを使用しているのだから「差別化=余計なハードの搭載」となってしまい無駄なロットを幾つもこさえ、不良在庫の山を積み上げるだけに…

SONYはデジタルコンテンツ絡み、東芝は液晶テレビとPCの受け入れ先はそれぞれのようだが、傍から見ていてそれで息を吹き返すとは到底思えないのはレガシーPCは既に終わった存在だからなのだ。富士通は東芝から譲り受けたケータイ部門に統合させたようだが、それはどう頑張っても売れる見込みのないタブレットととの統合を狙ってのもの。冷静に考えてWindows PCとAndroidが一緒になっても何も生み出さないと考えるのは私がバカだからなのだろう。

日本のメーカーに勤めているエンジニアの方々は俺達は優秀なのにトップがバカなので判断を誤ったのが敗因だと考えているのだろうが、私が同意出来るのはトップがバカと言うところだけで、敗因は様々なエンジニアから上がってくるどうでも良いアイデアを鵜呑みにしてしまった事にあると思うのだ。そもそも、日本の情報家電メーカーのトップに、PCやスマホには、そのOSが良いかなどの判断をする能力も決断力もないのは最初から分っている話。糞みたいなOSだったのにそれ以上のモノを自分たちで開発出来ないから乗ったのがAndroid路線。KP+のように国産のOSがあそこまで酷くなければ、誰もAndroidなどに見向きもしなかったはずなのだ。

結局、皆で渡れば怖くないとばかり(怖くはないが、失敗に終われば一網打尽だ)にAndroidに乗ってしまい、同じプラットフォームだから差別化はハードとUXで図るしかないと余計な事をしまくった為にOSのアップデート一つすんなりと行かない状況を作り出したのは他ならぬ優秀だと勘違いしているエンジニアの方々だったのだ。同じ土俵に上っておきながら独自性をなどと宣うのは統合失調症の最たるもの。その上で、お先真っ暗なガラケー用のサービスを延命させる作業さえ同時にこなさなければいけないのだから、まともな頭を持っている人間がトップだったらケータイなどやめてしまえで終わっていただろう。

ハードを売ってAppleが儲かっているのはOS、サービス全てを自社でコントロール出来るエコシステムを持っているからで、ハードしか持たないメーカーが儲けようとするのは所詮無駄な足掻き。世界を相手に製品を作っていないのに赤字だと騒ぐ方が間違っているのである。

結論:自社でOSも持っていない(どこでも同じようなものが作れる)ような製品で儲かる方が、そもそもおかしかっただけの話なのだ。

土曜日, 4月 07, 2012

Lisaが失敗に終ってMacが生き残った訳

ジェフ・ラスキンに誘われてPARCを訪れたビル・アトキンソンにに連れられてPARCでSteveが目にしたのはSmalltalkで動くAlto。GUIで動くその姿は未来のコンピュータそのものだったが、Xeroxはそれを商品する予定はなかった為、Appleが独自にLisaとして開発することになったのである。Altoのオモチャ版だと言う人が世の中にはいるが、後にXerox Starとして販売したが結局失敗に終わったのだから、PARCには売り物になるオモチャを作る技術はなかったのだ。 さて、ここで問題になってくるのがPARCを訪れSteveが作ろうとしたのはMacではなくLisaであった事実。元々PARC訪問を勧めたのがMac(初期コンセプトが正しい)の生みの親であるラスキンだったためAltoからMacを発想したと勘違いする人もいるかも知れないが(伝記本が山ほど出ているのでもう少ないか)、SteveはAltoで実現されていたGUIを使ったパーソナルコンピュータとしてLisaの開発を思い立った。それまで、世の中にそんなものは存在しなかったのだからStveらしくAppleの中でもピカイチの連中を集めて一代プロジェクトに… しかし、プロジェクトはいつの間にやら100人を超す大所帯となり取捨選択もコントロールされずに夢ばかりが膨らんでしまった。業を煮やした経営陣は諸悪の根源は理想主義に走り過ぎるSteveにあると判断しLisaチームから引き離したのである。問題の本質がそこになかったことは、大きなメモリを持ちマルチタスクも可能だった高価なLisaが消え去りMacが残ったことで明らかだろう。もちろん、Lisaチームの中でSteveのビジョンを理解していたメンバー(要はピカイチ)が脱けてしまったこともあるだろうが、それを束ねていたのはSteveだったのだ。 Steveが脱けた後のLisaチームに残ったのはHP出身の優秀なエンジニア達。常識で考えればこちらが勝つと思われるだろうが… 結論:SteveがLisaチームを追い出されていなかったらLisaがMacになっていたのである。

金曜日, 4月 06, 2012

井の中の蛙

また、空いた口が塞がらないような無様な事態が発生した。6月から全世界でスタートする次世代通信規格IP v6に国内最大のキャリアーであるNTTが対応できないというのだ。昨日や今日始まった話でもないのにローンチに間に合わせる準備を進めていなかったというのだから、呆れてものも言えない。 全てはISP経由でしかインターネットに接続出来ないというおかしな仕組みを放置して来たためなのだが、折角v6になろうというのにアドレスが枯渇寸前のv4しか使えなくなるのだ。 井の中の蛙は、電子書籍のフォーマットも同様である。EPUB3は縦書きも含む拡張が行われるというのに「縦書きは日本の文化」だから日本が独自のフォーマットを作るべき(国内でさえ規格統一されていない)だというのだからこちらも話にならない。 どちらも日本が先に始めた事なので世界が黙って付いて来るとでも考えたのだろうが、そもそも僅か1億数千万しか使用者の存在しない狭い世界。グローバルな基準策定の時に積極的に交渉に参加すれば良いだけなのに、国内で互いの顔色を見ながらの駆け引きの方が楽だからと安易に考えた事がそもそもの問題だったのだ。 結論:みんなで渡れば怖くないは一網打尽と表裏一体なのである。

木曜日, 4月 05, 2012

フラグメンテーション

私がAndroidはクズだ、化けの皮が剥がれたとblogで書いた時には、「何だマカーの書いたものか、読んで損した」とコメントを寄せて頂いた方がいた。国内メーカーが参入出来ないiOSとは違い、雨後の竹の子のように参入するメーカーが後を立たないものだから業界紙が提灯をぶら下げただけなのに実態と思い込んだのだろうが、流石に最近はAndroidはフラグメンテーションが問題であると書き始めている。

どんな、フラグメンテーションがあるかと言えば、最初に上がるのは1.5(それ以前は正式版のレベルではない)から4.03まで野放図状態のOSである。標準仕様がなかった為にメーカーが思い思いの端末を出してしまった為にスマートフォン(インターネットが出来るのではなく進化すると言う意味のはずだ)と呼べない端末が死屍累々なのが、Androidの世界。どんな初物にも食付く物好きなマニアはそれでも構わないのだが一般のコンシューマにとっては詐欺以外の何物でもない。その上、メーカーは他社と差別化を図る為に訳の分らないハードウェアを搭載しハードウェアのフラグメンテーションを上乗せ。

その上、日本ではご丁寧にもキャリア独自のサービスをこしらえサービスまでフラグメンテーションを起こす始末なのだ。それが、最初から分っていたから何もいじらない素直な端末を作るかアップデートが不要なくらいに全て突込んでしまうお化けを作るしか生き残る道はないと書いたのに理解されなかったわけだ。今なら聞く耳を持つ人も相当増えたのだろうが、それは行こうなユーザが増えたからで、ちっとも嬉しくはないのである。

カタログでは同じ筈であるタッチパネルの操作感もメーカーによってまちまち。たまたま選んだ端末がクズだったらユーザ体験もフラグメンテーションを築き上げる始末。台数が積み上がる(遂に50%を越えたらしい)程、不幸も深くなって行くだけなのである。

結論:フラグメンテーションなんて生易しいものではなく完全なカオス状態なのだ。