金曜日, 10月 28, 2005

Macintosh伝説〜第十三章〜

1997年−Jobs再臨


NeXT買収
技術的には大成功だったが、ビジネスとしては大失敗だったNextの買収が96年末に発表された。技術として完成されているNeXT STEPが4億ドルで手に入ったのはAppleにとって安い買い物であったが、Amelioにとっては高い買い物になってしまった。Jobsのカリスマ性をNeXTとともに手に入れられたと考えたAmelioは、Jobsの威光を利用しようとしたが、そんなことが出来る相手ではなかった。自分の能力を過信したために、自らの力の無さを露見させてしまったのだ。悲しいかなAmelioも、Jobsをコントロールできるほどの器ではなかったのである。

Amelio辞任
公的な権限を何も持たないはずのJobsはApple社内を自由に動き回り、Amelio抜きで社員(元Next社員)に次々と指示を与え、Appleの商品開発に直接手を下していった。それだけではなく、彼の信奉者であるOracle CEO エリソンをコマとして使いAppleの買収等の噂話で見事な揺さぶりをかけた。NeXT買収の興奮も冷めやらぬ頃、Apple創業以来最大の赤字を計上。全責任をとらされたAmelioは、いるにいられない状態となり辞任することになる。形式的には辞任であるが、まさしく追放劇であったと言える。結局、Amelioが残した業績はJobsを復活させたことだけだった。ただし、この功績は、Apple歴代のトップの中でも最大のものなのは疑いようも無い事実である。この判断が無ければおそらくAppleという会社は消えていたことだろう。さらに、Jobsは新しいボードメンバーを加えることに成功し、マイク・マクーラ(副会長)を始めとする取締役を一人残らず追い出すことに成功したのである。これで、彼に刃向かえる人は全てこの世から消えたのである。

G3誕生
最初に発表されたPower Macintosh G3は、他社性のパソコンと何ら代わることの無いベージュマシーンだった。これは、Macintosh IIvxの時から引きずっていたデザインでAppleが販売するべき商品とは言えなかった。その後、Appleらしさ溢れるPower Mac G3が発表されたが、心無い人はそれをポリタンクと呼んだ。そのせいか非常に短命に終わってしまった。プロ用のマシーンなのに研ぎ澄まされた所の無いそのデザインは安心感を与えると同時に鈍足のように見え、G3をその心臓部に秘めていながら凄さを感じさせることが無かったのである。G5の対局に位置するそのデザインは、iMacを彷彿させるものであった。コンピュータを事務機から脱皮させようというコンセプトの最初のデスクトップ・マシーンとしてその価値が語られることが、果たして来ることがあるのだろうか。

Jobsのカリスマ性
彼のカリスマ性は、ある意味ではケネディを凌駕する物かもしれない。なぜならば、彼に地獄に突き落とされた人々でさえ彼に声をかけられ、その目を見てしまうと再び彼の信者になってしまうと言うのである。あの、エリソンでさえJobsの前では従順な僕であり、ゲイツさえ基調講演でカリスマ性を発揮するために彼の爪の垢を1億5千万ドルで購入したと噂されている。彼のカリスマ性のすごさは、どんなに歪曲された物でも彼の口から吐き出されるとそれが真実になってしまうところにある。「一生砂糖水を売ってるのか」と言ってSculleyをハントしたり、失敗した事業を元にして潰れかけている会社を復活させたり、シェアはどんどん低くなっているのに利益は高くなったり、最初はコケにされていたディズニーのアイズナーを馬鹿呼ばわりできるまでの実績をあげたりと、これは人間技を遥かに越えているのではないだろうか。

Jobsをコントロール
実はこれを出来る人はこの世には存在しない。それどころか、神様でも不可能かと...
Sculleyが暫く大人しくしていて欲しいと考えた時にはアップルの株式を全て売却してNeXTを設立。 ロスペローから2千万ドル以上金を出させて口を出させなかった。キャノンから1億ドル以上金を出させて煮え湯をたっぷりとプレゼント。ゲイツに1億5千万ドルの金とOfficeの開発を約束させて、議決権の無い株式をプレゼント。その話を持っていった時のアップルは潰れそうな財政状態の、シェア5パーセント以下のボロ会社。その時にJobsが口にした言葉は「二人が手を結べばPCの100パーセントを手に入れられる」。Jobsにしてみればゲイツがいくら金持ちでも、アップルに仕事を貰いに来た小僧の時とほとんど同じ扱いなのである。さらに、マイクロソフトに金を出させる交渉を自らしておきながら、自分はアップルから手に入れた株を全て売ってしまったと言うんだから、彼をコントロールしようなんて考えること自体が土台から間違っているという事なのである。

しかし、そんなJobsさえもコントロール出来るものが世の中に実は存在している。それは、Macユーザーと呼ばれる人々だ。世間では、Macユーザーと言えばApple礼賛、Jobs崇拝の輩と思われているがそれは大きな間違いである。正しい判断、優れた商品をには拍手を惜しまないが、自分たちの基準に合わない商品や経営判断をした時にはAppleを完膚無きまで攻撃するのがMacユーザーなのである。その結果、消えていった商品さえ存在する。その代表は、G4 Cubeである。Appleは、G4 Cubeを決してMacユーザーのために開発した訳ではなかったに、彼らは口汚くののしりプロダクトとしては優れていたのに自分が使いたいマシーンで無かったために人が使うことも許せなかったのである。それ以来、あのJobsでさえヘビーユーザーの声を無視することは無くなったのである。

失敗した事業
96年秋までのNeXT Computerは、言わずと知れた失敗事業であった。何がいけなかったのだろう。NeXT Cubeは誰が見ても完璧と言える造形であった。そのマザーボードは、まさに芸術作品。一片の無駄も無いその回路設計は見飽きる事の無い完成度だった。それが、何故売れなかったのか、簡単であるその価格が間違っていたのだ。より高速に処理を行えるSUNのワークステーションが何台も買える価格では、誰にでも手を出せる代物ではなかったのだ。では、何故そんなに高くなってしまったのか。そこには、業界で標準となっていないデバイスが組み込まれていた。まだ海の物とも山の物とも知れないMOが標準装備され、そのディスプレイには、Display Postscriptが使われていた。確かに目を見張るように美しく表示され、専用のレーザプリンタは画面そのままに印刷することができたが、それを必要とする人は世の中に殆どいなかったのである。95年秋までのPixarも失敗事業だった。NeXTのように人をだまくらかして金を出させる事もままならなかったPixarは、Jobs個人の資産によって賄われていた。『トイ・ストーリー』の公開がもう1年遅かったならばPixarも消えていたかもしれない。

コケにされていた
初めてディズニーと提携を結んで映画を作り始めた時にアイズナーが相手にしていたのは、JobsのPixarで働くジョン・ラセター(元ディズニー社員)であった。恐れ多くも天下のアイズナーは、Jobsに対して素人はスッ込んでいろといった態度で臨んだのである。確かに、当時のJobsは、NeXTで失敗しPixarでまた失敗を繰り返していた。今では、Pixarといえば押しも押されもしないアニメスタジオであるが、当時は実はCG用のコンピュータとソフトウェアを売るのが商売だった。今でも評価の高い(価格も高い)RendermanとCG専用のワークステーションを販売していたが、どうにもこうにもワークステーションは売れない。そこで、自社のマシンとソフトの性能を世に知らしめるためにデモ用のCGアニメを作成したのが、今の隆盛のきっかけなのである。おかしな物で、ハードを売るのをやめた時Pixarの未来が開けたのである。

アイズナーを馬鹿呼ばわり
ディズニー再興の祖と言われているアイズナーもJobsに言わせれば数字以外で物を考えられないただの馬鹿である。ディズニーのような創造性を重視される企業において一番役立たずなのがアイズナーだとJobsは宣う。しかしこれは、あながち間違いとは言えない。Jobsの経営するもう一つの会社Pixarは、過去に5本の長編映画を製作しているが、すべて大ヒットし、観客動員数は常に右肩上がりを続けている。それに引き換え過去5年間のディズニーにはヒット作は無く、ここ最近の2本は制作費に遠く及ばない興行成績だった。『ファインディング・ニモ』1作の興行収入とディズニー過去5年間の全作品の興行収入が殆ど同じで、関連商品の収入を合わせると1作に勝てないのが現状なのである。ディズニーを救うには、Pixar買収とJobsのCEO要請意外にないのかもしれない。人はそれをデジャブと呼ぶ。

木曜日, 10月 27, 2005

Macintosh伝説〜第十二章

1996年−人は彼を首の太い親父と呼ぶ


Amelioは何をしにきたのか
かつてギル・アメリオという男がAppleのCEOを努めていた時代があった。あまりにも短い間だったので人々の口に上る事も少ないかもしれない。見るからにその男はAppleに相応しくなかった。ナショナル・セミコンダクターを建て直したと言う伝説があったが、彼がいなくなったあとに業績が急降下した。大幅なレイオフと在庫整理で利益をたたき出しはしたが、それは一回限りのまやかしだったのだ。

この当時のAppleは彼のようなビジョンを持たない人間を全く必要としていなかった。小使いでいいのならば、すぐに机の下に隠れて震えてしまうバカ珍のマイケル・スピンドラーの続投で事足りたのである。彼が、CEOになって一年の間に次期OSを社外から手に入れると言うプランが持ち上がってきた。このこと自体は間違っていないが、その候補としてWindows NT、Be OSと何の脈絡もなく上がってきたことがビジョンの無さを如実に示していた。要はこのおっさんは何も考えがなかったのである。

ところが、何も考えてなかったことが思わぬ所でスマッシュヒットを打ち出した。年末になってよりによってAppleの仇敵であるNeXTを次期OSのベースにすると言う考えられない事を実現してしまった。アメリオでなければ絶対にスティーブに声をかけるなんて事を思いつかなかったはず。怖い物知らずの小使いはまさに恐ろしい存在であった。そういえばこのおっさん97年の1月のMacEXPOの段階で、MacOS7はこれから10年間は通用すると言っていた。本当にバカである。

アメリオが引き連れてきた連中もAppleの文化とは水と油の連中であった。こいつらがあまりにも酷かったおかげでJobsの復帰に芽が出たとしたら、やはり神のおぼしめしはあるということである。

Windows NT
NTってニューテクノロジーの略らしい。本人達がそういっているのだからきっとそうなのだろう。でも、どこがニューテクノロジーなのと突っ込んでみたくなるのは、Macユーザーの悲しい佐賀...性(決して佐賀が悲しい訳ではない。佐賀はちょっぴり寂しいだけである)。何が悲しくてNTベースのMacを使わなければいけないの。そんなことしたら、数少ないMacユーザーが消えちゃうよ。これは、Macユーザーの正直な反応だった。冗談でもそんな戯けたことをほざいて欲しくない。95年の恨みが一年やそこいらで消えるとでも思っているのか。Windows95は、PCユーザーから見れば進化かもしれないが、Macユーザーから見たら退化以外の何者でもなかった。その当時のNTなんてGUIはWindows3.1と同等。そんなもの買う奴がいたらつれて来やがれ。たとえシステムが本当に落ちなかったとしたって意識が落ちちゃ仕方ないだろうが。

スマッシュヒット
正確に言えば、打ったのではなくボールがバットに当たってきたのである。それでも取りあえずは塁にでることが出来たのは確かである。それも、3塁に。但し3塁に出たと思ったらベンチに下げられて、帰りのバス賃を渡されたのである。実力が無かったのだからこればかりは仕方のないことだったのだ。

スティーブに声をかける
彼に声をかけて恩恵を受けた人が果たしているのだろうか。前年のトイ・ストーリーのヒットで一躍、時の人として脚光を再び浴びていたが、それはPixarの話であってNeXTは風前のともしびであることにかわりはなかった。何人の人達が煮え湯を飲まされ、そして廃人になっていった事か...アメリオは、この業界のことを何も知らなかった。そうに違いない。Jobsをただの気の良い中年とでも思っていたのだろうか。30代になるまでに3つも企業を作った男に、ただの再建屋がかなうはずもない。考えなくたって解ることである。つまり、Appleが、NeXTを買ったのではなくNeXTにAppleが乗っ取られた(それも金を払って)というのが真実なのである。ただし、これがApple再生のたった一つの方法だったことは間違いない。

Macintosh伝説〜第十一章

1995年−Apple沈没



Windows95発売
Macユーザーの世界では、この年は無かった事になっている。そうでなくても、何があったのかを思い出すことが出来ない。Windows95は、MacOS87だと言って見ても負け惜しみにしか聞こえない世の中になっていた。

トイ・ストーリー大ヒット
Macユーザーの中で異常に記憶力の良い人達の間で語り継がれている唯一の話題は、かつてAppleを創業したスティーブ・ジョブズのもう一つの会社Pixarがトイ・ストーリーというアニメーションで大ヒットを飛ばしたことである。良い話の無いAppleに関係する唯一の明るかった話題(本当に関係してるか?)で溜飲を下げたのは私だけでなかったはずである。

Macintosh伝説〜第十章

1994年−Appleはどこへ行くのか


Macintosh発売10周年
本当ならば、栄光の10周年になっていたはずなのにAppleは、この10年間何をしていたのだろう。PowerPCというチップを手にしてPCに対するアドバンテージを得たのもつかの間。Apple社内の混とんは、まさにカオス状態であった。モデル数が70もあり、その瑣末な商品の差を把握することは一部の熱烈なMac信者以外には不可能であった。こんなものを売ることの出来る人が一般のPC販売店にいる訳も無くじり貧へとまっしぐらとなってしまった。この当時の商品を意味のある物だけに絞っていったならば、恐らく4モデルくらいで足りていたのではないだろうか。この当時のAppleは、各セクションが自分たちの夢(妄想とも言う)を追い求め経営者の中に誰もビジョンを示す者がいなかった。地獄に落ちなかったことが本当に不思議なくらいである。

ビジョン
アップルのビジョンから生み出されたいくつかを紹介。84年に3.5インチFDDを標準装備。84年からデジタル音声出力を標準装備。ネットワーク機能(AppleTalk)をパソコンで初めて標準装備(プリンタもネットワーク対応だった)。86年にSCSIを標準装備。CD-ROMを標準装備。初めてワイアレスネットワークを標準化する。92年にビデオコーデックをソフトウェア化して標準装備(QuickTime)、これによってパーソナルコンピュータ上にビデオを表示可能になる。Windows標準のTrueTypeを開発。フロッピードライブを最初に排除。SCSIポートを最初に削除。USBポートを最初に標準装備(他のポートが付いていなかった)。IEEEポートを開発(これがなかったならば、デジタルビデオはどうなっていたことやら)。86年からデュアルディスプレイを標準化。最初に1670万色カラーを実現。PDAを初めて商品化(この時に採用されなかったモデルの開発者がPalmを作る)。95年にデジタルカメラを初めて商品化。86年にレーザープリンタを初めて商品化(Mac本体よりも高かった)。

水曜日, 10月 19, 2005

SONYは闘わずして負けた

 新Walkmanは、iPod nanoの発表に的を絞って発表された起死回生になってほしい商品だった。しかし、意地の悪いことにAppleは、わずか1ヶ月後にiPodのモデルチェンジを発表した。SONYのtype Aには初めて、iTunesのようなまともな管理softが付属することになったが、それは付いていて当たり前の商品で無かったことがおかしかったと気付かせることになってしまった。それに対してAppleはnano発表に合わせて進化させたiTunesからさらに進化させた新ヴァージョンをデビューさせた。ミュージック・ビデオやビデオ・ポッドキャストが一元的に管理可能なソフトである。これで、新Walkmanが既に死んでいることは明らかだ。11月に出して売れることの方がおかしい(今までのデータとの互換性だって怪しい)。私はVAIO Pocketという商品を出した時には止めろと言った(既になかったことになっている)し、PSPで音楽や動画再生を行うようになった時にはWalkmanは止めてPSPだけにしろと勝手に言っていた(恐らくそれさえ怪しい)。直接SONYにいったことは無いので、届くはずはないのだが結果は全く予想通りになっている。悪いことは言わない、ソフトとサービスが伴わないハードを作るのだけはもう止めにしたらどうだろう。SONYが今するべきことは、まだ最終商品として発表されていないメディアセンターをAppleに先駆けて出すことだけである。今回のiMacでこれからどう進むかは示されている。これを活かすことが出来ないのならば、メディアを支配しようなどという馬鹿なことは考えず大人しくしているに限る。残された時間は次のMac miniの発表までであることを肝に銘じてもらいたい。

結論:SONYはAppleの尻をなめるのが好きなのだ。

今週発表されるもの

 19日にニューヨークで発表される製品(ハード・ソフト)に関する情報が徐々に漏れ始めている。先週発表されるのではないかと噂されていたPowerMacは1週間遅れで登場することになるようだ。デュアルチップカードを2枚使ったハイエンド機(4CPU)から、デュアル1枚或いはシングルチップを2枚載せた構成になりそうである。さらに、予てから噂になっていた(一部でしかなっていなかったかも知れない)Apple純正のプロ用画像編集ソフトの"Photo Pro"もお目見えするだろう。価格がいくらになるかは解らないが、"iPhoto"の次は、"Photoshop CS"へ一機にアップするしかなかったプロ・カメラマンに必要なツールがAppleから提供されることになる。

 もともと19日は、"PhotoPlus Expo(October 20-22)"に先行した発表であることから、噂の信ぴょう性に問題ないだろう。先月、先週とコンシューマー商品の話題ばかりであったが、本命のプロ用の発表が行われることによって、Appleの本気度が解ると言うものだ。今後進む道と考えられるシン・クライアントシステムに関しても、"XServe"や"XServe RAID"のニューモデルを発表し終わっている。全方位に向けた準備は全て整ったとみて良いだろう。

結論:iPodのAppleと考えがちであるが、実際にはサーバからiPodまでをカバーするソフトとハードを同時に開発しているとんでもない会社である。SONYにはそこまでの奥行きがないから、的外れなことばかりやっているのかも知れない。

金曜日, 10月 14, 2005

新iPodは?

 ついに動画機能が装備されたiPodが発表された。仕様とコンテンツに関しては予想通りであったが、このツールには今迄のiPodでは今一つであった教育ツールとしての機能をフルに活かす能力が詰め込まれている。今迄動画対応の携帯プレイヤーはDVDクラスのビデオを再生すると言うことが本筋のように語られてきたが、それは思慮の無さを自ら示すような物である(自社で権利を持っている映画を売りたいと言う貧乏人根性で開発した企業が多過ぎる)。

 それでは、新しいiPodでは何が出来るのか。今迄も語学学習用のコンテンツがいくつか発売されていたし、オーディオブックも最初から用意されていた。これを利用すれば立派な教育ツールとして活用出来たのであるが、今回は動画によってさらに有効な教育ツールとして利用可能になった。どの会社でも、ある程度の規模を持てば社員教育のためのビデオをひとつやふたつは用意しているだろうが、それが活かされているとは言えなかったはずだ。何故なら、どこでも気軽にビデオを見ることなど出来なかったからだ。しかし、これからは社員にiPodを配りビデオデータを配付することによって通信教育が可能になる。150時間の動画が保存出来ると言うことは、学校教育のツールにもなりうる容量を持っている。DVDを配るよりはよっぽど時間とコストを抑えることが可能になるのだ。それが見えているかどうかによって企業の盛衰が決まる時代が来ていると言ったら言い過ぎだろうか。

結論:ビデオの見えるゲーム機や携帯プレイヤーは様々にある(別な事業部で違う仕様のものを出している馬鹿な企業もあるようだ)が、それを活かすことの出来るソフトとシステムまで同時に発表出来る企業は今のところAppleしかない。たった一ヶ月で全く新しいバージョンのiTunesを発表すると言うことは他のメーカーには真似が出来ない。日本の某企業はあれだけ評判の悪いソフトから新しいソフトに切り替えるのに何年も要し、なおかつ全く互換性がなくなってしまった。そんなことしか出来ない企業の商品が売れる訳はないのである。これからは、ソフト開発力のない企業の商品は生き残れない時代なのだ。だからもうあきらめなよ、SONY。

水曜日, 10月 05, 2005

第5世代iPod

 今週中に第5世代のiPodが発表されそうな雲行きになってきた。仕様としては誰もが予想するように、ミュージッククリップやビデオポッドキャストが表示可能なものになるようである(未だに一部では劇場版ムービーが見られると考えているようだが、そんなものはいらない)。

 長時間見続けることを前提にした大きなディスプレイ(最低20インチは欲しい)をつけたデザインではなく、今迄よりも若干小型になって容量がアップするのだろう。基本的に音楽などのビデオクリップが再生可能になると考えるのが正しく、ついでにムービーをと言うのは容量を考えても無理だと考えるのが常識ある人間の判断である(ここでいう容量はiPodの問題ではなくダウンロードしなければならないファイルの量のことである)。恐らく今回発表されるiPodの容量(80G)であれば、無圧縮のDVD映像でさえ10数本収まるであろうが、2時間の映画を落とすのに2時間もかかったのでは全く意味が無い。さらにPCからiPodへの転送にも10Mを1秒位と考えて映画1本ならば10分近くかかる。そんな思いまでして外に持ち出してiPodで映画を見たいと言う人には良い病院を紹介したい位である。

 どちらにしても、このところ動きの無かった本家iPodもモデルチェンジされるのは、非常に喜ばしいことである。iPodは音楽の楽しみ方の範囲を広げた(決して新しい楽しみ方などとは思わない)だけではなく動画を含めたコンテンツを気軽に楽しむための新しいツールに成長してきたと考えるのが正しいだろう。

結論:iPodはビデオと言えば映画だと考えるような頭の堅い人が使うセグメントの商品ではない。そういうものが欲しい人はソニーのPSPでも買って悦に入ってもらえばいい。iPodはコンテンツを気軽に楽しむためのツールだ。真剣にビデオや音楽を楽しみたい人は部屋に閉じこもって静かに堪能していればいいのである。外では迷惑なので止めて欲しい。