月曜日, 10月 10, 2011

Steveに捧げる

 いつになったらSteveの死に関してのblogを書くのだとお怒りの方もいたかも知れない(恐らくいないと思うのだが)が、間もなくと覚悟はしていたものの本当の死を受けて何かを語るには時間が必要だった。Steveの死を私に告げたのは出社途中のTwitter。地下鉄の中だったので本当かどうかを確認するのも難しい状態だったが、国内で最初に記事を打ったのが日経であったにも関わらず、これは間違いの無い事実だと素直に受け入れたのは感じるものがあったからである。Appleを救っただけではなく世界を何度も変えたSteveは、その命と引き換えに我々に夢を与え続けてくれた。
 
 私がMacユーザになった頃は、Steveは既にAppleを追われた後だったが、その後の混迷の時代をMacユーザとしてつぶさに見てきた身としては、技術者達が自分の好きな事を何の秩序もなく追い求めていたのではAppleは崩壊してしまうと感じていた(Windowsユーザの前では口が裂けてもそんな事は言えなかったが)。Appleを蘇らせるためには創業期の天才達が戻ってこなければ駄目だ(多くの天才達はSteveのいなくなったAppleを飛び出してしまっていた)と日経Macに投稿したのは1995年だったが、その中にはSteveの名前はなかった。そう、まさかSteveが戻る事などはないと考えていたのだ。
 
 Steve復帰以降のAppleの大躍進は多くの人が知る事なので書く必要はないだろうが、復帰に際し今後30年のAppleのビジョンを持っていた。ビジョンの半数以上は実現されたようだが、未だ我々の目の前に現れていない多くのものがAppleの中で育て上げられているのだろう。私に残された目標はSteveが自分の目で確かめる事の出来なくなったその製品をこの目で確かめる事になるのではないだろうか。

結論:今まで、Appleを語る時に使ってきたのはJobsだったが、今後は敬意を込めてSteve(正式にはStevenなのだが)と改めたいと思うのである。

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