水曜日, 7月 13, 2005

Macintosh伝説〜第七章〜

1991年−Powerbook誕生!!



初代Powerbook登場
今でこそノートブックが当たり前の世の中であるが、ダイナブックの発案者であるアラン・ケイをアップル・フェローとして迎えていたアップルもただ手を拱いていたわけではなかったのだが、真のノートブックと呼べるパソコンを発売したのは東芝が最初だった(ダイナブックの名前さえ横取りされてしまったが、せめてもの救いはアラン・ケイがあれは自分の考えたダイナブックではないと言ってくれたことだけだろう)。Macintosh Portableという実験機(通常のMacよりも重かったのだから決して実用機ではない)は成功とは呼べなかったが、Powerbookはノートブックパソコンに一つの方向性を与えた点(トラックボールの採用とキーボード手前がパームレストになっていると言う現在のノートパソコンのスタンダードを作った)で画期的であった。これも当時Appleに認知心理学者のノーマンがアップル・フェローとして在籍していたからである。一気に3種類のマシーンをデビューさせAppleとしても久々のクリーンヒットを飛ばすことが出来た。

IBMとの提携
強気の発言を続けていたが次期OSの開発の目処が一向につかないAppleとMicrosoftに裏切られて(OS/2を共同開発していたのにいきなり、Windowsを出されてしまった)傷心のIBMがともに魅かれ合うなどと、どこの誰が想像していただろう。当時AppleではBlueと呼ばれるOS(後のSystem7.5と言われるSystem7の改良版)と、Pinkと呼ばれるOS(構想が余りにも大きくなり過ぎていつ完成するかが全く解らないSystem8)が同時に開発されていた。結果的にPinkはSystem8になることも出来ずにIBMと共同で立ち上げたタリジェントという会社に移行されたが、ここでも完成することが無かった。具体的なIBMとの提携は、PowerPCと呼ばれる新しいCPUの共同開発(Motorolaも加わる)と前述のPinkの開発、そしてマルチメデイア言語であったScript/Xの開発であった。結果的にはこの中で実際に物が出せたのはPowerPCだけだったのが、当時のAppleの暴走ぶりを如実に示していたのである。後にPinkを諦めCopelandという名前のOSを開発していたがこれさえも完成出来なかった。

Pink
開発ツールの世界ではオブジェクト指向は当たり前(OOPSと言う)であるが、OSその物がオブジェクト指向をいうのはあまりにも大胆である。どういうことかと言えば他のアプリケーションの機能をOSレベルで切り張りしてユーザ独自に使うことが出来るようになってしまうと言うのである。どのアプリケーションからでも印刷する時は同じドライバーを使うことが出来るのと同じようにしようとした訳である。これができれば、夢のようだが出来なかったので結果的にまさしく夢のようだった。この開発のために何人の人間が廃人になったのだろう。

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