水曜日, 1月 04, 2006

ブランド哲学

 とかくこの世は...こんな言葉を吐いて気を紛らわせているようではいつまでたっても勝ち組にはなれない。モノが良く売れないことの原因には多くの要素が関係してくるが、日本製と言う製品力で売ってきた日本のメーカーはその力を失い始めている。そして、力を失ってしまったメーカーは自ら価格を下げていながら、価格競争が売れない原因だと逃げている。そんなメーカーに勝ち目はない。殆どの家電がデジタル化された現在において、スペック的な商品の差別化は不可能なのに、それに気付かないメーカーが多過ぎる。そして顧客はすでにブランドだとは思っていない(そう考えてくれるユーザーはもうマーケット対する影響力がない)のに、自社は特別なブランドを持っていると勘違いしているメーカーがある。

 ブランドになりたければ、薄利多売はしてはいけない。この分かり切ったことを出来なくなった時(大企業になってしまった)に、ブランドの価値は往々にして失われる。売らなければその屋台骨を支えられないほど巨大になった時、企業は衰退する。PCの世界を見てもそれは明らかだ。ファブレスであるDell(Dellは決してブランドではないが)でさえ、利益がむしばまれている昨今。唯一の勝ち組(価格決定権を完全に保持している)であるAppleは、価格帯は違うとはいえ完全にFerrariのようなブランドになることが出来た。

 その1番の理由は、どんな小さな商品でさえAppleのオリジナルであると解るデザインコンセプトとマーケティングにある。その研ぎ澄まされたデザインは、コピーをすればオリジナルを連想せざるおえない。それを支えている大きな原動力は、他社に追随することなく価格を決定(他よりも安いのに利益を確保出来る商品開発力がある)でき、その価格をモデルチェンジまで一切改定する必要のないことにある(モデル終了時にはより利益が大きくなっている)。過去には余りにも自社製にこだわり多くの製造工場を抱えていたが、現在は完全にファブレスを可能にしている。大量発注品だけは受注生産であるが、それ以外は予測生産をしているのにもか関わらず、その商品回転率は信じないレベルである。利益が出るからこそ商品にこだわりを持つ余裕があるのだ。そして、新商品を出すたびにより強くAppleのブランドイメージを高めているのである。

結論:明確な商品コンセプトも持たずにブランドを築くことなど出来ない。SONYはWalkmanを見ているだけでそれが無いことが明らかだ。ブランドとはプレミアが付いて取引されるような商品を売ることが出来るかどうかに関わってくるが、SONYはそれをプレミアム・ブランド(要するに高い商品)を作ることだと勘違いして自らブランド価値(Quoliaがプレミアムで、SONYはディヒュージョンだと宣言)を下げてしまった。もうPanasonicに追いつくことさえ出来ないかのしれない。ブランドを作るのはメーカではなくて顧客であることを肝に銘じてもらいたい。

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