月曜日, 3月 21, 2005

Macintosh伝説〜第三章〜

1987年−Macintosh II誕生


Macintoch II 発売
メモリー8M、拡張スロット標準装備。68020プロセッサを搭載した初めてのパソコンがここに誕生。グラフィックカードを拡張スロット(NUBUS)にさして使うため、マルチディスプレイが可能になる。同時に拡張スロットを持ったMacintosh SE も発表される。これによって、Jobs の哲学が否定され、代わりにサードパーティも参加できる拡張性を手に入れる事が出来た。

HyperCard 登場
HyperCard が使いたいばかりに、Macintosh に手を出してしまい道を誤った人が多かったはずである。その根本に流れるハイパーテキストとハイパーリンクの考えは、ウェッブの標準言語となっているhtml の形で今も残っている。開発者であったビル・アトキンソンはHyperCard をMacintosh にバンドルしないのならばApple 辞めると迫ってバンドルさせたといういわく付きの開発環境だった。電子工学を勉強した事がない人でもプログラムが作れると言う画期的なものであった。ちなみに、アトキンソンはMacintosh のグラフィックの要であるQuickDraw を開発したプログラマーである。

道を誤った人
私がMacintosh ユーザーになった頃、日本語が通るアプリケーションは、EGWordとEXCELしか無かった。それ以外は日本語版のまともなソフトなんてどこにも存在しなかったのだ。初めて手に入れたハイパーカードは英語版。日本語の解説書も何も世の中に無いのだからこの世の春を謳歌していたPC98ユーザーや一太郎に対する憎しみが深くなってしまったのも仕方がなかったと言えるかもしれない。虐げられたその結果Macintoshユーザーは選民思想を持ってしまったのである。私がユーザーになった頃はまだユーザー数が1万にも満たなかったことを今でも忘れはしない。ちなみに、日本のMacユーザーが10万人に達したのはMacintosh Classicが発表されてからだった。それは1990年の事である。私はClassic以降のユーザを決して伝道師とは認めたくない。こんなことを言うとMacはやっぱりカルト集団だと考える人が多いだろうが、金も命も取らないのだから許して欲しいと思う。

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