土曜日, 12月 31, 2005

Macintosh伝説〜第十八章〜

2002年−Jaguar誕生



iMacフラットパネル登場
この時のMacWORLD EXPOの目玉は、誰が何と言おうとも雪見大福型のiMacの登場である。何で丸いのと思った御仁達は、その首振りを見て角があるとぶつかるわなと素直に納得。ボンダイブルー以外はiMacじゃないと訳の解らんことをほざいていた女は、今はタムロンの人。ディスプレイの割に大福部分が大きいなと思っていた人達は、20インチが同じ筐体でOKと解った時にAppleの設計思想の奥深さにうれし涙を流したのである。それにしても、この年は色んなマシーンが色々と発表され(クロックアップとディスプレイの大型化が中心ですが)PowerbookもDVI端子モデルにかわり名実ともにチタンブックの集大成と言えるものであった。このマシーンが最後のデュアルBootが可能なOS9.2.2を載せているため、今でも世間では一切の値崩れをしないで売られている珍しい機種になっている。金に困った時には是非、換金してもらいたいと思います。

Jaguar登場
まだまだ、ベータ版じゃないのと言われていたOSXもJaguarが登場すると、そろそろOSXかなと決意させるだけの機能を搭載してきた。問題は、プレビュー版の時から、熱心にOSを買ってきたユーザーにとってアップグレードが無いと言うのはちょっと辛かったかも知れない。”毎年だぜ”そんな寂しいことを言わないで下さい。間違いなく毎回OSは正しい進化をしているのですから。Windowsユーザの飲まされた煮え湯に比べたら、まさに甘露ともいえる口当たりの良さだったのですから。

Xserve登場
年も押し迫り、いきなりXserveが発表された。デスクトップにサーバソフトを入れただけのまがい物ではない本当のサーバモデルの登場である。サーバなのにオシャレな筐体、システム部門に受け入れられるだけの実力を持った初めてのマシーンであった。PCサーバよりも安く、信頼の置けるUnixベースのサーバは機関システムの一つとして導入されても不思議ではない実力を秘めていた。しかし、世はまだWindowsの呪縛を振り払う程の理解力を持たぬ人々の天下、海のものとも山のものとも解らぬシステムに金を出す人は多くは無かった。OSXサーバが、世間で認められるようになったのは、バージニア工科大学のシステムが廉価で、世界第3位のスーパーコンピュータになったのと、恐れ多くも畏くもの東京大学の情報センターでMacにリプレイスが行われたことが大きく影響してからであった。恐らく今後大学で使われるコンピュータに占めるMacの割合は、世間でのシェアとは全然関係ない程に高くなって行くだろう。

煮え湯
セカンドエディションが出るまでのWindows98。98SEにメディアプレイヤーを入れただけなのに安定性が進じられないくらいに低くなったME。NTのシステムサイズにMEの不安定さをプラスしたXP。セキュリティの問題を解決するために入れたSP2のはずなのに、バイオスを飛ばされたあなた。そう、あなた達のためにこそOSXがあるのです。是非、心置きなく転んで下さい。

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