火曜日, 1月 11, 2005

MacをMacたらしめているもの

 夜中に目が覚め、Macらしさとは何であろうかとつらつらと考えてみた。人はそれをハードウェアの違いだと考えている。CPUはPowerPCだし、筐体はおしゃれである。確かにCPUにIntelを使わないことによるアドバンテージ(Intel使いは全く逆に思っているようだが)は大きい。単純なクロックスピードはIntel系の石の方が速いが、これはエンジンで言えば回転数の問題であって実際の速度ではない。クロック数神話を築き上げてきたIntelは、ついに昨年クロック数神話の終焉を自ら発表した(クロック数アップの行き詰まりが本当の理由だ)。ようは、速度を上げることが出来なくなったのである(残念)。

 さて、本題に戻ろう。何が、Macらしさを決めているのだろう。もちろん、一番重要な部分はOSである。MacOSXのどこがWindowsや他のOSと違うのか? まず結論を言ってしまおう。それは、テイストである。じゃPCはどうなのかと言えばそれは、スペックだ。Macは、ハードもソフトも非常に抽象的な要素を重視している。要はフィーリング、体温、肌触り、質感、親しみなどの心理的な要素だ。それに比べPCは、ハードもソフトも非常に具体的な要素を重視している。処理速度、CPU温度、ハードディスク容量、機能の多さ、アプリの数など物理的な要素ばかりである。ユーザー側に立つか、作り手側に立つのかが一番の違いなのだ。これには、歴史的背景がある。PCは、OSをMicrosoftに掴まれているためにハードのスペックに差を付けることだけが他社との違いを出すことだった。それが、血となり文化となってしまったために、ソフトもスペック競争に陥ってしまった。Appleは幸い、ハードとソフトの両者をコントロール出来る希有な存在のために、ハードもソフトもMacらしさを表現するための手段に過ぎないことに早くから気付いていた。

 Windows版のiTunesの大成功によって、Jobsはハードの個性ではなく、ソフトの卓越性でWindowsユーザに食い込むことが出来るということに、はっきりと気付いたようである。その延長線上にヘッドレスiMacが存在するのだ。今回のEXPOには大きな期待を抱いている。

Macのめざす方向
 シンプル(そぎ落とし)、使い易さ、統一感、中華包丁(これ一つで中華料理は作れてしまう)、ゆとり

PCのめざす方向
 複雑(付けたし)、高機能、差別感、10徳ナイフ(使わない時には他のパーツが邪魔になる)、貧乏性

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